テクノロジーの進化によって、すべての人が恩恵を受けられるはずなのに、なぜ“使える人”と“使えない人”の差がますます広がっているのか?

UnsplashのConny Schneiderが撮影した写真
テクノロジーは本来“格差を埋める手段”であるはずが、実際には“使いこなせる力”そのものが新たな格差を生んでいる。知識・リテラシー・意欲・サポート環境の差が複合的に作用し、「活用する人はさらに前へ、置いていかれる人はより遠くへ」という二極化が加速している。
こんにちは。代表の佐藤です。
私たちは今、かつてないスピードで進化するテクノロジーの波の中にいます。
スマートフォンやAI、そしてChatGPTのような対話型AI。
こうしたツールは「誰でも使える時代」を実現した――そう言われています。
けれど、私は最近、こんな疑問を強く感じるようになりました。
「本当に、誰でも“使えている”のだろうか?」と。
テクノロジーは確かに私たちの生活を便利にしました。
会議の議事録は自動で要約され、文章作成もAIが支援し、複雑な作業もボタンひとつ、あるいは“ひとこと”で完結します。
しかし、その一方で、「それを使いこなせる人」と「使いこなせない人」の差が、以前にも増して、はっきりと目に見えるようになってきたと感じています。
例えば、ChatGPTのようなAI。これは誰でも無料で使えますし、操作も簡単です。でも、実際に業務や学習に“使いこなせている人”は、ほんの一部にすぎません。
それはなぜか?
一つには、「質問の仕方」があります。
ChatGPTは万能に見えますが、何をどう聞くかによって、返ってくる答えの質は大きく変わります。
つまり、問いのスキル――「問い力」がなければ、その真価は引き出せないのです。
また、返ってきた情報を「理解し、判断し、活用する力」も必要です。
学力の高低だけではなく、情報をどう整理し、どう行動につなげるか。
そういった力の差が、今や“使える人”と“使えない人”を分ける決定的な要因になっています。
ここで重要なのは、
「テクノロジーは格差を埋めるものだったはず」という点です。
情報やツールを平等に手に入れられることによって、学歴や経済力に関係なく、個人が力を伸ばせる時代が来る――
そう期待されていたのです。
ところが、実際には逆の現象が起きています。
“使える人”はますます効率よく、スマートに成果を出し、“使えない人”は、そのツールの存在すら遠く感じてしまう。
使ってみようという意欲すら、失われていく。
こうして、「同じテクノロジー」が「違う未来」を生む構造ができてしまっているのです。
ここに、私は大きな危機感を覚えています。
では、どうすればよいのか?
私は、“能力のある人が使いこなす”という構図から、
“誰でも使えるように設計する”方向へ舵を切るべきだと考えています。
それは、ただ機能を簡単にすることではありません。
例えば――
・難しい言葉を避ける
・使い方を動画や対話で学べるようにする
・「どう聞けばいいか」のテンプレートを用意する
・初めての人に寄り添ったアプリ設計をする
こうした小さな配慮の積み重ねが、
「使えなかった人」を「使える人」に変える第一歩になるのです。
また、教育や研修の場でも、ただ「テクノロジーを使いましょう」ではなく、
「使いながら、自信をつけるプロセス」を大切にすべきです。
なぜなら、「使い方がわからない」のではなく、「失敗がこわい」「バカにされそう」「何を聞けばいいかわからない」
――こうした“心の壁”が多くの人を遠ざけているからです。
私たちは、テクノロジーが進化したことを誇るのではなく、
それを“誰もが当たり前に使える”環境を整えることに、もっと力を注ぐべき時期に来ています。
ChatGPTは、ほんのひとつの例にすぎません。
でも、この1つのツールですら、“希望”にも“格差”にもなる。
そうであるなら、私たちは選ぶことができます。
誰かだけが先に行く未来か、
誰もが一緒に進める未来か。
テクノロジーが人に優しいものであるために、
“誰もが使えるようにする努力”を、私たちは取り組んでいます。